あの日あの時君はどこにいた?

当社にはいろいろな営業マンが出入りしますが、広告関係の商品を

紹介くださるCさん(女性)もその一人。

筆者よりずっと若いが、話も上手いし機転も利く。おまけに美人ときたら、

きっと営業成績も相当なものだろうとお察しする。

さて、Cさん。綺麗な顔して、コイツがまたプロレス好きだと言う。

WWEが専門で、中でもジョン・シナとローマン・レインズのファンだとか。

………しっ 知らねぇ。

 

cena

John Cena  という奴らしい。

reigns

Roman Reigns   という奴らしい。

Cさん曰く、両者は動きも機敏でレスリングが上手く、何よりも華がある

とのこと。彼女の弁は、「シナはおそらく史上最強のレスラーだろう。」

と続く。

 

ひと回り以上若い女性の趣味にケチをつけるほど野暮ではないが、

「史上最強」なんてキーワードを吐かれちゃ、それは聞き捨てならない。

Cさん、いや Cちゃん。 アンタなんにも分かっちゃいない。

「史上最強」の外人レスラーはコイツです。

5ハンセン

『ブレーキの壊れたダンプカー』 スタン・ハンセン

 

パワーもスピードも他のレスラーの群を抜き、一撃で相手を屠るウェスタン・

ラリアットは背筋が凍るほどの衝撃だった。リングの雄たけびもカウボーイの

コスプレもいちいち絵になり、特にラリアットをぶちかます前のサポーターの

位置を直す所作。 これは歌舞伎役者が大見栄を切るようで、そのイナセっぷり

はこの上なかった。

 

そのほか革命的だったのは、日本人(ベビーフェイス)VS 外国人(ヒール)

という力道山時代から続いていた※「お約束」が、この男の出現によって全く

意味を為さなくなったこと。

本人が意図していたかどうかは知らぬが、しょぼい善玉に飽き始めたガキども

は皆「圧倒的な強さ」に「正義」を見出した。

※ デストロイヤーやザ・ファンクスなど日本陣営に属する例外もままあった。

 

1981年、既に新日の看板レスラーだったハンセンが全日の会場に乗り込んで

きたシーンは今でも昨日のことのように覚えている。

 

ときは12月13日の蔵前国技館(国技館が両国に移るのは85年の初場所から)

2ハンセン

この試合のブロディ・スヌーカ組のセコンドとしてジーパン・白シャツ・白ハット

のコイツは現れた。

 

アナウンサーと解説のやりとりも名調子で、

「ブロディ、スヌーカの後にウエスタンハットをかぶった大男が...」

「だれなんでしょうか」

「あっ スタンハンセンだ!」

「ハンセンですよ、ハンセン。」

ハンセン3

 

白々しいと言っちまえば身も蓋もない。落ち着いて考えれば、こんな大物の

引き抜きを知らされてないわけないんだから。

しかし、川口浩探検隊はやらせだと理解していた筆者も、放送席の狼狽ぶりから、

社会人になるまでこの「ハンセン乱入」がガチだと信じていた。

 

試合はほぼ一方的で、最後はブロディがドリーにニードロップ決めてカウント

スリー。しかし、最大の見せ場はリング下でハンセンがテリーに喰らわせた

ラリアット。 マット1枚のうえで被弾したテリーは失神KO.  本当に死んだ

かと思ったもん。

 

Cちゃん 良く聞け。

この日のハンセンは間違いなくティラノサウルスより強かった。

 

 

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追伸

翌月曜日は学校中この話題でもちきり、授業なんかなりゃしない。

なぜこれほどの事件が朝刊に載らないのか真剣に議論した。

部活時間は部活時間で、先輩ラリアットの犠牲になった1年生は

10人や20人では済まなかったとのこと。

事態を重く見た学校は、翌日「ラリアット禁止」のお触れを発表した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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