ああ、また昭和がひとつ消える。

「秦」や「ローマ帝国」でさえ滅びた…..

なんて言ってもピンとはきませんが、

「あの」PL学園野球部の歴史が終わったことは

時代の幕を感じざるを得ません。

昭和40年代生まれの高校野球ファンにとっては

ひとしおです。

 

中三の夏、ツレと行った第65回甲子園大会

我々のお目当てはすでに夏・春を連覇し、

圧倒的な力でV3を成し遂げるであろうとされた

池田高校でした。

 

水野

エース・4番・主将だった水野雄仁

卒業後ドラ1で巨人 背番号は31

11年で通算39勝

それにしてもフォームが江川に似てる。

 

 

「やまびこ打線」なんて可愛い名前で呼ばれていましたが、

とんでもない!

実際のそれは慈悲もなけりゃ情けもない…

ただただ えげつないほどの集中攻撃で、

世が世なら「いじめ」に該当するほどのものでした。

 

で、目にしたのは、

そのジャイアン池田が背番号11をつけた1年生に

力でねじ伏せられる姿…

 

「目を疑う」たぁまさにこのこと。

あまりにも衝撃的すぎて、

何がおこっているのかが理解できず、

翌日の決勝も観戦したはずなのですが、

内容を一切覚えておりませんもん。

 

もちろん、その11番は桑田真澄です。

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投げては完封、打ってはホームラン

準決勝第2試合は、筆者と誕生日が2カ月と変わらない桑田の独壇場でした。

 

その後何度も黄金期があった同校ですが、

やはり革命者であり且つ帝王として君臨したKK時代の

PLは一高校野球部のレベルを超えたカリスマ性が

ありました。

 

PL最後の部員は全部で12人、監督は野球未経験者。

ハンパないのれんの重さに耐えてきたとお察するが、

OBに校歌を届けられなかったことはさぞかし悔しかったろう。

梅田主将 ホントにご苦労さまでした。

 

 

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追伸 一昨日は読谷村瀬名波土地のご契約でした。

売主は日本語NGの外国人

日本語の契約条文を読んでから英語で読みなおす力技で乗り切った。

売主S夫妻様・買主N夫妻様・そして司法書士T先生

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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