横濱物語 その2 外伝
- 2016年6月12日
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せっかく本日は筆者が現在手掛ける「超」複雑な
案件のさわりをご紹介しようと思ったのですが、
前回のブログが割と評判でして……
電話やコメントをくれた方の多くは県内在住の女性。
やれ、横浜博覧会の帰りに寄っただの、
やれ、当時の彼氏に連れてってもらっただの、
いやはや皆様お盛んでしたねぇ
元来、港町には異国情緒があって、それだけで
「おしゃれ」なんでしょうが、
80年代の横浜の立ち位置は、あれだけ近くても
東京に追従しない地方都市。
そのスタイルは間違いなく時代にアピールしていた。
事実、かつて関東では車のナンバーにもカースト制
のようなものがあったのですが、
品川ナンバーとタメ張れるのは「ハマナンだけ」
とされていた気がします。
で、皆様「続き」をご所望のようで…
そんじゃ、ハマを賑わせた当時のローカルセレブリティのお話を少々
YOKOHAMAケンタウロス
暴走族でもないし峠族でもないし、オッサンの「鉄馬乗り」集団
と言うしかない。
当時は石川町にショップがあったのですが、現在はどうなんでしょう?
「ケンタウロスの伝説」なる漫画がプレイボーイで連載されて
いたこともあり、全国にカルト的なファンが多かったようです。
有名なのは、俗に云う「600マイルブレンド」の話。
美味いコーヒーがあるってんで、横浜から神戸まで出張り、
至福の一杯を堪能したら直ちに横浜までトンボ帰り..
いいオッサン達が、こんな番組の企画のようなことをやっていた。
※ 因みにそのコーヒー店は三宮の茜屋珈琲店とのこと
「ボス」こと飯田さん、
夜の街で頻繁にお見かけしたのですが、ロン毛・ひげ面・ビールっ腹の
存在感はハンパありませんでした。 ある告別式では喪服の上にチームの
パッチの入ったGジャン(袖はもちろんぶった切り)を着ておられた。
本田宗一郎氏は勲一等瑞宝章親授式にメカニックの正装:白ツナギで
出席しようしたらしいが、Gジャンはボスにとっての正装だったの
でしょうね。 (陛下の御前でツナギは流石にナシだったのこと)
また、筆者がどんなに酔っぱらってもグラスに酒を残さないのは、
メンバーの一人であるキムさんの口癖「酒の一滴は血の一滴」に
負うところが大きい。
メリーさん
横浜市長の名前を知らなくてもメリーさんを知らなきゃモグリ。
かつては将校専門の高級娼婦で、80年代後半当時でも「現役」で
春を鬻ぐと言われていました。
真っ白なドレスと厚塗りの化粧 よく伊勢佐木町や馬車道でお見かけした。
高島屋の紙袋をいくつも持って…
メリーさんが突然ハマから姿を消したのは90年代半ば、
正に謎だらけの貴婦人だったのですが、
後年ドキュメンタリー映画が製作され、当時の噂はほぼ事実
であったことが分かりました。
ヨコハマメリー
2005年 監督:中村高寛
映画によると、最期は故郷の老人ホームにて亡くなったそうです。
スッピンのお顔も披露しておられましたが、えらくベッピンでした。
どう 楽しんで頂けましたか?
〆はしっぽりと 優作アニキの『横浜ホンキートンキーブルース』で
作詞 藤達也 作曲 エディ藩
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