具合いのいい時間

「黄昏」 日没直後、空に夕焼けの赤さが残る時間帯のことですが、

最近じゃ、動詞の「黄昏る(たそがれる)」ほど耳にしません。

拙宅は東海岸にあるのですが、それでも夕日がよく入り、黄昏時には

家の外壁や愛車どもがほんのり茜色づくことがあります。

夕焼け

日没ちょっと前 ちょっと黄昏時には早いか…

 

そもそも、黄昏は「誰そ彼」。夕暮れの人の識別がつかない暗さの

なかで「おぬしは誰じゃ」を尋ねる頃合いのこと。

万葉集にも

『誰そ彼と われを問ひそ 九月の露に濡れつつ 君待つわれそ』

なんて歌がありますね。

 

さて、その黄昏時ですが、時代小説を読むかぎり、あまりロマンチック

な扱われ方はしておりません。

「暮れ六つ」「酉の刻」「逢魔時」「大凶時」

いずれも、物の怪が湧き災禍が降りかかる頃合いとされております。

 

神社・仏閣では、鳥居やしめ縄または柵を設けて「結界」を張り、「現世」

(うっしょ)と「幽世」(かくりょ)を明確に分けるが、昼と夜との「結界」

がはっきりしない時間帯を昔の人は嫌がった。

筆者の田舎の老人はよくこう云っておりました。

 

ただ、これについては異見あり!  なんでも結界張りゃ、そこは聖域として

守られるのか。 そりゃ ちょっと「聖なる線引き」の安売りなんじゃねぇの?

大人んなって、浅草なんぞを歩いていると頓にこう思ったものです。

 

浅草といえば浅草寺が有名ですが、ほかにも如意輪寺・霊光寺・弘法寺・本久寺..

古くなると日輪寺・天嶽院・東光院もございます。

 

要は街全体が霊場のようなものですが、ここには俗世・穢れの代表である「吉原」も

「小塚原」もありました。

遊郭「吉原」はご存じの通りですが、「小塚原」(発音はこづかっぱら)は仕置場つまり

刑場があった場所のこと。いわゆる打首獄門が行われていたところです。

 

仏を拝み神を敬う敬虔な場所のすぐ裏手にゃ、

娼婦と戯れ遊興に明け暮れる花街があって、

そのすぐ横手じゃ、公然と人が殺害され、その死骸が晒されていたんだからねぇ。

 

こうなると、はたしてこの聖なる「結界」は子供の戯れ事「エンガチョ」の域を

超えるものなのか。 もし、結界が単に儀礼的なもの(少なくとも庶民レベルでは)

であったのなら、黄昏が敬遠されたホントの理由もほかにあったのではないか?

野暮は承知ですが、時折こう思案します。

 

 

 

ただし、ビールが一番うまい時間であることは間違いない。

夕日

追伸 本日は今年最後の決済。 K様・T社様・同業A様ありがとうございました。

 

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