Iremember Miles.

決済の準備に忙しくもう少しで失念するところだった。横浜の友人から

のメールは山下町のジャズバー491houseから。 そう 去る28日は

この人の命日だった。

kind of blue

マイルスデイビス  1991年9月28日没

 

もう四半世紀近く経つんだね。

下手の横好きでトランペットを吹いてた筆者。57年~61年までの

マイルスの音源はとにかく聞きまくった。晩年のものも含めればレコード・CD

合わせて200枚は買ったんじゃないか。

マイルスの訃報が届いたとき筆者は既に社会人。お気に入りのミュージシャンが

亡くなっても、もはや憔悴してメシも通らなくなるほどおセンチな年齢では

なかったが、帝王の死は少なからず衝撃を受けた。少なくとも、同時期の

「小林ひとみ引退」事件よりそのインパクトは大きかったと思う。

 

ジャズうんちくはどうにもカッコ悪いのでここでは無し。

要はC・パーカーやD・ガレスピーが始めたビバップを発展させ、

更にはぶっ壊したのがこの人。 生きながらにしてレジェンド扱いだった

マイルスだが、神輿に乗ることを潔しとせず、その後もロック・フュージョン・

ヒップホップまで手掛けるなど最後までとんがっていた御仁でした。

 

今日は、東京やNYで筆者が聞き倒したジャズライブではなく、

その前のこと…  横浜 野毛にあったジャズ喫茶『ちぐさ』のお話。

chigusa

 

創業昭和8年 当時日本最古のジャズ喫茶だった『ちぐさ』

いや、ここはグサチと呼びましょう。 筆者はここでモダンジャズの

イロハを学びました。おやじさんの名前は吉田さん。無口だったが、

優しくて粋な方でした。筆者が日本を離れているときに亡くなり、

店はその後しばらくの間ご親族や常連の方々によって回されていたと

聞きます。

 

レコードは全てアメリカ原版のみ。せいぜい7~8坪の店内向こう正面に

デカいスピーカーが1対鎮座し、テーブルは6つ程度あったのだが二人連れの

場合でも対面では座らず、壁に沿って座るのこの店のルールだった。

chigusa2

グサチ店内 背中は在りし日のおやじさん

 

そもそもジャズ好きには変人奇人の類が多く、店の客もひと癖ふた癖ある人ば

かり。帽子、コート、パンツにブーツまで全身黒革ずくめのオッサンや7ℓの

ACコブラで乗り付ける爺さんもおった。

そこに10代のガキでっせ。 週2回行っても、慣れるにゃ優に1年強はかかった。

 

だいたい野毛は、「おしゃれなヨコハマ」からはかけ離れた街。

むしろ、(当時悪名高かった)日ノ出町・黄金町にも近くって若者が好んで

(少なくともナンパやデートに)行くようなところではなかったと思う。

当時の黄金町界隈っていったら、売血・青線・路上賭博・不法滞在者・売人・ポン引き・

手配師なんでもござれのエリア。そこまでとはいかなくても、グサチのあった野毛も

元町、関内、山下町とは明らかに違う、ディープでリアルなハマでした。

 

とにかく、マイルスの奏でるドリアンスケールを最高の音質と最高の環境で

聞くためには、ちょっとした冒険が必要だった思い出です。

 

今夜はちょっとしっぽりと、かつて鬼の集中力をもって練習した

「Round About Midnight」

ラッパ

ッキショー  やっぱハイトーン出ねぇ(怒)

 

 

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